「遊びで育まれるコドモのミエナイチカラ」2017.11.3 講演会報告

遊びで育まれるコドモのミエナイチカラ

講師:安中圭三氏

2017年11月3日(金・祝)市原市勤労会館にて「遊びで育まれるコドモのミエナイチカラ」と題して、「遊び」を「環境」から考える講演会を開催した。講師には、数々の保育園の園庭デザインを手がけ、キッズデザイン賞を受賞している、株式会社コト葉LAB.代表取締役の安中圭三さんを迎えた。もぐらの冒険スタッフ「がーり」が数年前にたまたま園庭の写真を見て、その園庭に惹きつけられ調べていくと安中さんだとわかり、SNSを通じて安中さんと繋がっていったことが安中さんとの出会いであった。

今回はコドモにとって「いい環境」とは?コドモはどんな場所で遊ぶのか?という問いから始まり、私たちが捉えている遊びということを考え直すというテーマで講演いただいた。

まずコト葉LAB.の紹介からハッとする。コト葉LAB.には、『「子」と「場」をつなげる』、『「事」を産み出すデザイン』という意味が込められていて、『「言葉」は「伝える」手段』で『「言葉」を扱う様に「デザインしたモノ」によって次世代に「伝え・贈る」デザイン活動をしたい、という想いを語られた。この後に紹介されていった実際の園庭の写真から、その思いがたくさん感じらることとなった。

門へ向かうアプローチの写真からスタートした園庭のスライドは、生き物がいそうな緑の植込みに早速ワクワクする。植込みの中に得体の知れない金属の構造物が見えてくる。しかし自然と共にサビていくその色は他の自然物と打ち解けているという工夫。植込みの仕切りが丸太なのも惹かれる作り。まだ園庭に辿り着いてもいないのに既に想いが詰まっている。そして中に入ると物見やぐらのような建物が見える。登ってみたい。他にもガシャポン井戸あり、登れそうで登っていいのか迷うような穴の開いた壁があったり、縁の下のようなスペースがあったり、ロープでできた橋、丸太でできた橋があったり、築山があり、ドカントンネルがある。子どもたちが気になりそうなしかけがちりばめてあり、登るチカラのある子は登れるような施しがしてあり、そのままでも十分遊べる作りになっている。そして何よりデザインがカッコイイ。後に訊いてみると本能的に惹かれるデザインを意識しているという通り、大人も子どもも誰であれカッコイイと思うはずである。子どもが遊びに没頭できるような作りになっている。そういった工夫はすべて実際に子どもと過ごす保育園の先生たちとの話し合いによって思いを共有されてできあがったということも非常に印象深い。子どもの頃自分たちはどんな経験をしてきたのか?転ぶこと、失敗することは、どんな意味を持つのか?ということを丁寧に話し合ってきたからこそ、こういった園庭作りができるのだろうと感じた。多くの園では「子どもにケガをさせない」ことが前提になっている。しかしケガからも、失敗からも多くの学びがあることを忘れてはならない。自転車に乗れるようになった時のことを思い出してみても、失敗を繰り返す中で乗り方の習得と同時に、身を守る術も体得していく。「失敗」が準備された環境を園庭に用意して、環境と折り合いをつける「センス」を育む環境でありたいという想いを語られた。

後半は講演タイトルのコドモのミエナイチカラに焦点を当てたお話となった。道路の縁石や歩道の柵、石垣塀など、子どもはつい登ってしまう。大人はなんでまたそんなところ!と思ってしまうようなことがよくある。しかし、そういう時、子どもが悪いのではなく、『環境がやモノが発しているコトバ』があるという。(それはアフォーダンスという概念で、例えば目の前に椅子があって、座れと書いてなくても座れるものだとわかる。これは椅子自身が座ることをアフォードしているということ。デザインや建築、知覚の分野で研究がされている。)安中さんの手掛ける園庭にはこのコトバを大切にした工夫が詰まっているのだと感じた。幼児期において重要とされる身体知(パトス)は、子どもたちの遊びたいという衝動が動いた時に育まれるという。それは環境が発するコトバを聴き取った時に、その遊びに没頭できることが必要である。しかし、大人の考える遊びと子どもにとっての遊びには時として大きなズレがある。遊びの時間に大縄跳びをしていて、保育者は楽しく遊んでいるつもりであったが、子どもは終わった途端に「もう遊んでいい?」と聞いたという。そのくらいズレがあるのだ。またかつて日本の家庭は「内」と「外」がつながっていた。庭でも食べ物を干したりなどの生活活動があり、そとからも家の中の匂いを感じやすい作りになっていた。生活と遊びにつながりがあったのだ。「遊び=こうしたらこうなるを求めないこと」(天野秀昭さんの言葉)であるというが、子どもにとって遊びとは「学び」であり、生活そのものが遊びなのである。それらは全てつながっているのだ。便利な社会になり快適であるが、その裏でなくなりつつある感覚があるということを、子どもをとりまく環境のひとつである私たち大人が意識しなければならない。

「遊び」というと、大人にとっては余暇・仕事以外の時間という認識が強いのではないかと思うが、子どもにとっての遊びは「学び」であり、「生活そのもの」であることがわかった。次年度から変わる保育所・保育士指針にも「遊び」に関して言及されているように、子どもにとっての「遊び」を考え直さなければならない。最後に安中さんは『どんなセンスをもって子どもたちと関わり、どんな想いを「環境」として贈り届けていきましょうか?』と呼びかけた。もぐらの冒険としては、ここに正面から向き合いたいと思う。

もぐらの冒険 小倉哲(もなか)