教育シンポジウムに参加して、今、改めて思う「市民(当事者)」という意識の大切さ

去る1月21日(日)、市原市市民会館にて行われた「第16回教育シンポジウムinICHIHARA」にパネリストとして参加してきました。

テーマは「次の時代を生きる子どもたちに求められるものは〜市原の子どもたちを未来へつなぐために〜」でした。

学校関係の会長さんや所長さん、退職された校長先生や教頭先生などが客席にいらっしゃるというイベント…(緊張しかない)

市民活動を続ける中で感じる、現在の子どもの姿やこれからの子どもたちについて考えていることを話してきました。

多方面で活躍されている方が集まっていたので、いろいろな角度から、様々な意見が出されていました。

子どもたちを大切に想う気持ちはみんな同じはず。ならば、子どもたちに、おとなはどうやって関わっていくのか、何を大事にしていったらいいのか…

答えはありません。こうして一緒に考えあうことが大事なのだと思いました。

 

最近強く感じることがあります。それは「市民」という意識が、多くの人にとって希薄であるということです。

「市民」って…

・自分がこうしたいということを実現していく権利が誰しもにあるということ。

・人が人として楽しく、よりよく生きるおもしろさを常に追いかけていくということ。

・人が「ココ」で暮らすということの、当事者になるということ。

今は、家を買い、モノを買い、サービスまで買う時代です。

だけどそうやって、「消費者」として、「お客さん」として、存在するよりも、自分がなりたい方向に自分で一歩ずつ歩いていく方が、暮らしはずっとずっと楽しいと思います。

でも…残念なことに、現代を生きる子どもたちは、「消費者として」生きる生き方しか、知らない子どもが多いです。

多くのおとなが「消費者として」生きているのだから当たり前とも言えます。

「これしていいですか?」「何をしてもらえるんですか?」と、もぐらの冒険に初めて来たこどもたちが(おとなたちも)、スタッフに問いかけてくるのがこの証拠です。

何かをしてもらえるという環境でしか過ごしていない、許可を得てからしか動いてはいけないという状況にしかいない。

それではいけないと危機感を持ち、わたしはもぐらの冒険を立ち上げました。

今、おとなが大事にしなければいけないのは、「あいさつができる子」を育てることでも「整理整頓が得意な子」を育てることでも、「成績の良い子」を育てることでもありません(あえて断言します)。

そんな目に見える形ではなく、「自分で選ぶ楽しさ」や「自分で歩んでいく面白さ」を子ども自身が感じて生きていくことを、どれだけ保証できるかということだと思っています。

「自分で選ぶ」ということは、そばにいる人に信じてもらえているという状況で可能になります。

「自分で歩んでいく」ということは、そばにいる人が転んだ時に手をとってくれるという安心感から可能になります。

「自分で」という言葉だけを聞くと、「ひとりで」というように聞こえますが、その逆です。

「誰かと共に」ということなのです。

スマホ一台あれば何でもできてしまう現代。便利さを否定はしませんが、「ひとりで生きていかなくてはいけない」と感じやすいという状況でもあります。

こういう時代だからこそ、教育に携わる方々には、「一緒に子育てしよう」と、「共に生きていこう」と伝えていってほしいと願っています。

 

教育現場や行政の管轄では行き届かないところに手を伸ばせるのが市民活動でもあります。

資格や学歴に関係ない、「誰でも」できるという活動に意味があると思っています。

もぐらの冒険は、市民活動だからこそできる活動をこれからも続けていきます。